東京地方裁判所 平成4年(ワ)16940号 判決 1993年3月31日
全事件原告
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
土田庄一
平成三年ワ第八七一四号事件被告
乙川三男
平成四年ワ第一六九四〇号事件被告
乙川春子
右二名訴訟代理人弁護士
遠藤隆也
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
第一原告の請求
一被告乙川三男は、原告に対し、後記争点欄記載の婚約解消について同被告のなした不法行為による原告の精神的損害に対する賠償として一三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年七月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払え。
二被告乙川春子は、原告に対し、後記争点欄記載の婚約解消について同被告のなした不法行為による原告の精神的損害に対する賠償として五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年一〇月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払え。
第二事案の概要
一争いのない事実
1 被告三男は、被告春子の父である。
2 原告と被告春子は、平成元年ころ知り合い、平成二年一一月婚約した。
3 平成三年二月、被告春子は原告に対し、婚約解消を申し入れ、結局原告と被告春子の婚姻は実現しなかった。
二争点
本件の争点は、次の原告の主張の当否である。
1 本件婚約解消に関する次の被告らの違法行為の成否
(1) 被告三男は、被告春子に対する脅迫等の不当な手段をもって、正当な理由なく原告と被告春子との仲をさき、原告と被告春子の婚約を解消させたと言えるか否か。
(2) 被告春子は、被告三男ら両親の理不尽な反対意見に迎合し、正当な理由なく原告と被告春子の婚約を解消したと言えるか否か。
2 原告主張の損害額(精神的損害として、被告三男に対し一三〇〇万円、被告春子に対し五〇〇万円を、それぞれ請求している。)の相当性
第三争点に対する判断
一証拠(<書証番号略>、証人丙山二郎、証人乙川夏江、原告、被告三男、被告春子)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
1 原告は昭和三九年一二月二九日生まれの男性であり、被告春子は昭和四二年一月一〇日生まれの女性である。
2 原告と被告春子は、平成元年に、仕事上の接触がきっかけで知り合った。その後、平成二年に、原告が被告春子に求婚し、原告と被告春子は互いに愛情を確認し、双方の両親も婚姻に賛成したため、婚約の準備が整った。原告の父親の義兄弟である丙山二郎夫妻が仲人(いわゆる頼まれ仲人)となり、平成二年一一月に結納の儀をとりおこない、婚約が成立した。結婚式は、平成三年五月五日に新高輪プリンスホテルで行うことに決まっていた。
3 平成三年二月六日ころ、新高輪プリンスホテルで、原告、原告の母、被告春子及び被告春子の母夏江が集まり、結婚式の打ち合わせを行った。その際、被告春子及び夏江は、引出物の選定等に関して被告側の意見を十分に聞かなかったり、自分の考えが通らないと感情的になり不快感が言葉に表れたりする等の原告の母の言動に屈辱感を受け、また、原告が被告春子側と原告の母との間をとりなさずに原告の母の言いなりになるばかりであると感じた。そして、被告春子は、それまでに、原告の思いやりのなさを感じていたことや、原告の家が、独特な家風の存在を感じさせる家であり、行儀作法に細かく、見栄を張る傾向があるなどと感じていたこともあって、今後、原告との間で配偶者として円満な協力関係を、また、原告の母との間で配偶者の母として円満な協力関係を、それぞれ維持していけないのではないかと強く感じるようになり、原告との結婚生活に入ることに対して自信を失った。
4 そのため、被告春子は、被告三男及び夏江とも相談のうえ、両名の賛成を得て、婚約を解消することを決意した。
5 婚約解消の申出は仲人を通じて理由も婉曲に原告側に伝えた方がよいとの被告三男の判断により、平成三年二月一五日までは、被告春子は原告に会うことを避け、また、話す機会があっても当たり障りのないことしか話をしなかった。被告三男、夏江及び被告春子は、平成三年二月一六日、丙山二郎と会い、被告三男が丙山二郎に対して、今回の結婚話は互いの家が合わないのでなかったものとしたい旨述べた。丙山二郎の提案により、改めてもう少し話し合うことになった。
6 翌一七日、丙山二郎の妻と被告春子の間で話し合いがなされた。さらに、翌一八日には、原告と被告春子の間で話し合いがなされた。原告は、被告春子に婚約解消の翻意を求めた。しかし、原告は、被告春子に対して、追い詰めるように、「私のことを嫌いになったのではないだろう。」と言って婚約解消の翻意の決断を迫るばかりで、被告春子が原告の母の言動や原告の母の言いなりになる原告の言動及び原告の家に入ることになる被告春子の不安感を訴えても、それに対して十分に思いやろうとはしなかった。そして、原告が執拗に翻意を求め続け、また「二人でできる範囲での式をあげよう。」という原告の発言もあったことから、被告春子の心が動き、被告春子は、再度原告と結婚しようという気になり、その旨を原告に告げた。その結果、同日夜、原告と被告春子は丙山宅を訪問した。被告春子は、丙山宅から自宅に電話をかけて原告と結婚する意思を告げた。電話に出た母夏江は、被告春子に対し、「帰ってくるな。」という意味の言葉を言った。被告春子は、原告に対し、「両親は、結婚式に出席しないかもしれない。家に帰ってくるなと言われた。」と言った。丙山二郎は、被告春子を連れて、翌一九日未明に被告宅に赴き、被告三男及び夏江と話し合った。その席では、被告春子は、原告と結婚したいという意味の発言をし、母夏江は、丙山二郎に対し、結婚式のやり方などで両家のやり方が合わないなどの婚約解消の申出をした理由を説明した。
7 被告春子は、結局、翌一九日朝、婚約の解消を決意した。そして、その旨を仲人の丙山二郎に伝えた。
被告春子は、翌二〇日、原告に対しても、電話で、「両親の反対を押し切ってまで結婚する意思はないし、原告について行く気もなくなった。」と言って婚約を解消する意思を伝えた。
二婚約解消を理由として、それまでにかかった費用の清算以外の精神的損害に対する損害賠償義務が発生するのは、婚約解消の動機や方法等が公序良俗に反し、著しく不当性を帯びている場合に限られるものというべきである。婚約当事者以外の者が婚約当事者に対して婚約を解消することを決断させた場合においても、同様に、精神的損害に対する損害賠償義務が発生するのは、その動機や方法等が公序良俗に反し、著しく不当性を帯びている場合に限られるものというべきである。例えば、親が、結婚を望んでいる子に対して、婚約の相手方の親族との円満な協力関係の形成が見込めないことを理由に婚約解消をするよう強く説得することは、それだけでは、婚約の相手方に対する精神的損害の損害賠償義務を発生させるほどの違法性を持たず、その動機や方法等に公序良俗に反する点が認められて始めて、損害賠償義務を発生させるほどの違法性を具備するものと解するべきである。
三被告三男が被告春子に対する脅迫等の不当な手段をもって原告と被告春子の婚約を解消させたことを直接認定させるような証拠はない。
四前記認定事実中、被告三男が被告春子に対する脅迫等の不当な手段をもって原告と被告春子の婚約を解消させたことを推認させるかのような事実は、次のとおりである。
1 平成三年二月六日ころ以降、被告三男及び夏江は一貫して、原告と被告春子の結婚に反対していたと推認される。
2 婚約解消の重要な原因となったのは原告の母の言動であり、原告が嫌いになったことが直接の原因ではない。
3 被告春子は、平成三年二月一八日に、一度、婚約解消を取り止める気持ちになった。
4 その際、被告春子は、母から「帰ってくるな。」と言われ、また、原告に対して「両親は、結婚式に出席しないかもしれない。」と発言した。
5 被告春子は、最終的に原告に婚約解消の意思を告げた際にも「両親の反対を押し切ってまで結婚する意思はない。」と発言している。
五しかし、右四の事実から被告三男が被告春子に対する脅迫等の不当な手段をもって原告と被告春子の婚約を解消させたことを推認することは、とうていできないものというべきである。
六また、被告春子が一旦は婚約解消を取り止める気持ちになったことについては、次のような点からの検討も必要である。
1 以上の認定事実によれば、平成三年二月六日以降の被告春子の心情は次のようなものであったと推認することができる。
(1) 原告の母との間で配偶者の母として円満な協力関係を築いていく自信がなくなり、ひいては原告との間でも配偶者として円満な協力関係を築いていく自信がなくなったことから、婚姻は一生の問題であるので、迷いながらも、婚約は解消した方がよいと決断した。
(2) 一旦は、原告のことを好ましい人と思って婚約を決意した後に、原告と交際しているときには気付かなかった問題が表面化したのであるから、婚約解消を決意した時点では原告が全く嫌いになったわけではない。
(3) 原告との間で婚約の円満解消の合意ができておらず、結納も終え、結婚式の日取りと場所まで決めた後であるから、原告との結婚生活に入ることが心理的に大変な負担のかかることであったのと同程度に、婚約を解消することも心理的に大変な負担のかかることであった。
2 右1の事実によれば、平成三年二月六日以降、被告春子が気持ちが揺れ動きやすい心理状態にあったことを推認することができる。そして、このことは、被告春子の「二月一八日は、心身ともに衰弱して、頭の中が真っ白であった。」という供述からも、裏付けることができる。
3 以上の点を考慮すると、二月一八日に一旦は被告春子が婚姻する方向で翻意し、それに対して被告三男及び夏江が反対していたことから、被告春子は何の迷いもなく原告との婚姻を望んでいたのに、被告三男及び夏江が脅迫等の不法な手段を用いて被告春子に原告との婚姻を断念させたということを推認することは、とうていできないというべきである。
七そして、ほかに、被告三男が被告春子に対する脅迫等の不当な手段をもって原告と被告春子の婚約を解消させた事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の被告三男に対する請求は、そのほかの点について判断するまでもなく、理由がない。
八被告春子が被告三男ら両親の理不尽な反対意見に迎合し正当な理由なく原告と被告春子の婚約を解消したことを認めるに足りる証拠はない。
むしろ、被告春子が原告との婚約解消を決意した経過は、前記認定のとおりであって、その過程には何ら原告に対する不法行為上の違法行為を構成する点はないものというべきである。
そうすると、原告の被告春子に対する請求は、そのほかの点について判断するまでもなく、理由がない。
九以上によれば、原告の請求は、いずれも理由がないから棄却する。
(裁判官野山宏)